地図に無い氷河湖 Dec・9・2008
大阪 鋭峰会 城 隆 嗣
私達は2005、2006年にそれぞれ40日間、計80日間、西チベットを旅行しチベット文化を少しは理解したものとしていた。
そして2007年に今度はブータンとインド・シッキム州、それに東チベットを旅し、過去に何度も訪れているネパールを含めチベット文化圏たるものをもう少し知ろうと計画していた。そこに07年HAJの「ヒマラヤ5月号(426号)」に中村保さんがお書きになった「東チベット踏査行-2006秋」の中に波推蔵布、王仁東方リンドウ谷に地図に記載されていない氷河湖がある事を読み、我々でその氷河湖を確認してみようと計画したものである。
早速中村さんに連絡し、地図を頂戴した。
ブータンをパロからサムドゥプ・ジョンカまで10日間、そこから陸路インドに入り、シッキムで5日を過ごしカトマンズ経由でラサに入る。ラサで2日間休養した後、波密、王仁に入る。そこから馬と徒歩で4日間をかけて、ついに氷河湖を確認したのである。
そして2008年秋にカヤックを担いで氷河湖を遡上し5湖まで行く事を計画した。

途中、多分季節的なものであろうと思うが、昨年より川の水量が多く、昨年渡渉した滝の上部は右岸から左岸に渡ることが出来ず、仕方なしに滝の下流に新しい仮橋を作り左岸に渡る。1潮南岸に着いて馬方を返し、我々二人きりになる。
翌日からカヤックを使って遡上する事になるが荷物の関係で一つの湖を渡るのに2回から3回の往復が必要、それに湖と湖の間はこれまた、2.3回の往復である。特に2湖から4湖の間は大岩小岩のガラ場で標高差が110mと片道1時間はたっぷりかかる。その上21kgのカヤックは分解して運ばなければならないから大変な労力を必要とされる。
驚いたことには4潮南岸の段丘にチベット人が作ったケルン(パー)が10数基並んでおり、朽ちかけたタルチョ(経文が印された五色の旗)も岩かげに確認された。これは単に想像だがチベット人が何かの目的で最北端のここ迄歩いて来れた事を、仏に無事の祈りをささげたのではないだろうか。

1湖は西側に大きな氷河があり、1時間に1回は物凄い音を立て崩壊し、波が立ってカヤックを襲ってくる。
2湖は氷河が無く、水深も浅い。そして底はヘドロが体積しており北岸はヘドロの中を歩かなければならない。
3湖は一番小さいが氷河を持っている。しかしルートから少し離れているので直接関係なし。
4湖は一番大きく2.2kmあり、カヤックで片道4・50分かかる。西北西に氷河がある。
5潮は素晴らしく北西にある氷河から崩壊した大小の氷で湖の2/3が氷のブロックに埋めつくされており、カヤックは使用しなかった。
結局は1,2,4湖でカヤックを使用したにとどまった。
しかし4湖から5湖は我々が最初の侵入者である事は確かである。
都合11日かけて往復したが、その間天候も悪く、たった2日の晴天しか無く時期的には後10日遅らせた方が良かったようである。