TOP山行報告 台
 高
 山
 脈
 縦
 走

台
 高
 山
 脈
 縦
 走

2009/8/19-23 縦走
佐々岡勝治/織戸哲郎/乾
 克巳

台高山脈縦走記録


 三名で台高山脈を縦走しょうと意見がまとまったのは、今年2月(2009/2/9) に大丸山岳部の新年宴会に部外者として参加させて頂いた時である。私一人での構想は、一昨年の8月に奥駈道の縦走を終えた時点で、次の目標は台高の全山縦走と位置づけ、昨年の夏に実施の運びで進めたが、諸事都合が出来て今年の実施となった。元々は単独行の計画にお二人が参加されることになったので、計画の内容にも少しずれが生じた結果となった。
 
夏の縦走で最も重視するのは水の確保と暑さ対策である。水は確実に入手しなければ重大な結果となる。何よりも大事である。これまでにも縦走路の主だった山には何度も足を運び、水場の確認を行ったが、それぞれの水場は、日帰りでは無理な位置にあり、自ずと地図上やネット検索の結果を参考とすることになった。佐々岡、織戸両氏との山行も初めてなので、本番までにそれぞれの波長を合わせるため、プレ登山を二回ほど実施し、それぞれの持つ癖や歩き方のペースなどを確認してきた。お二人とも山の大ベテランで、北アルプスや南アルプスの山々を縦横無尽に歩いてこられた猛者である。奈良の山専門に、しかも一人で歩いてきた私に取ってはとても新鮮なイメージを受けた。
 縦走の時期を8月と決めたのは(1)陽が長いこと(2)荷物が少なくて済むこと(3)水涸れの心配が少ないこと。そして一番厳しい時期での達成感は何ものにも代え難いことである。
台高は奥駈道ほどの人気が無い。高い山が無いのと見通しも悪く、サポートを受ける山小屋も皆無である。くさりや梯子などルートの整備も殆ど無く水場の情報も全く無い。一旦山に入ると人に出会うことはない。要は100% の自己リスクを伴うものであるからだろう。
 一人の持つ荷物の重量を18 ㎏までとして、その日のテン場での水の残量を最低1.5 リッターとした。水涸れに備えてのことである。


 程
 2009 年8 月19 日23 日
 4 泊5 日

同行者 佐々岡勝治
 織戸哲郎  乾
 克巳

行
 程
   各自宅〜近鉄榛原駅

 近鉄電車





    榛原〜高見登山口〜杉谷
 奈良交通バス





    杉谷〜大台ヶ原駐車場
 縦走





    大台ヶ原〜近鉄上市駅
 奈良交通バス





    近鉄上市駅〜各自宅

 近鉄電車

1日目
 自宅〜杉谷〜大峠〜伊勢辻山〜明神平
 明神平の水場でテント泊
2日目
 明神平〜千石山〜池小屋山〜弥次平峰手前P1258 でテント泊
3日目
 弥次平峰手前〜馬の鞍峰〜山ノ神ノ頭〜湯ノ谷の頭P1125 下でビバーク
4日目
 ビバーク〜地父ガ谷の高〜振子辻〜引水サコ手前でビバーク
5日目
 ビバー地〜御座〜大台辻〜金明水〜大台ヶ原〜日出が岳〜帰宅





































1日目 8 月19 日(水)晴

自宅→明神平テン場

雲が瀬山
 1075m 伊勢辻山
 1290m 国見山

 1418.7m


 朝、予定していた時間より早くに家を出た。定刻に榛原駅に着くとすでに佐々岡氏は到着していた。杉谷までの路線バスは初めての乗車である。マイカーで行くのと違って、民家のある旧道を行く。木津峠から高見山が見え、その山容の素晴らしさにほれぼれとした。高見山の撮影スポットとか、あらためて来てみたいと思った。バスは我々二人だけを乗せ、ノンビリと平野経由で行く。

かねてから高見山山頂からスタートしたいと言っていた織戸氏から三日前の16 日にメールが入り、当日は大峠の広場で落ち合うこととした。このバスが始発だと思っていたら新子経由で別便が出ているとか、織戸氏はよく調べたものだ。

杉谷の登山口で水を補給して登り始め、しばらく行くと頭を潰されたマムシが死んでいた。真新しいものなので織戸氏がやったと直感した。小峠から大峠への水場では水がよく出ていた。これから先明神平までの区間に水場は無い。

タマゴを割って顔を覗かせたタマゴ茸

予定より7 分遅れて大峠の広場に着いた。峠の休憩場では織戸氏が驚いたような顔をして待っていた。聞くと小峠から大峠への旧伊勢街道を知らなかったらしく、車道を来ると思っていたらしい。二人とも70 リッターのザックを背負っており、織戸氏は高見山頂への急登で少しばてていた。
 食事を済ませてから、旧道の側溝清掃をしていた青年にお願いして、三名の写真を記念に撮って貰い出発した。

12 時40 分である。

雲が瀬山、ハッピノタワと植林帯が続く。風がなく時折植林帯がとぎれるとむっとくる夏草の匂いがする。

木陰では湿度が高いのか、登山道にタマゴ茸をよく見かけた。


 いつも元気な織戸氏がスタート地点から遅れている。早朝に和歌山を出て、寝不足のままに小峠から急登の高見山頂に登ったのが“ばて”の原因らしい。我々二人は山頂スタートの拘りもなく、体力温存のため、大峠スタートとしたので快調である。

赤ゾレ山下の草原

ハンシ山を過ぎると間もなく地蔵谷頭に出る。大又方面の展望が開けて、プレ登山で歩いた和佐羅滝方面や今日の目的地である明神平の草原が遙か彼方に見える。程なく伊勢辻に出る。大又からの出合いで三叉路になっている。コースを左に取り、伊勢辻山を過ぎると赤ゾレ山から馬駈け場までの高原地帯に出る。今日一番のビュースポットである。注意が必要なのは赤ゾレ山に立ち寄る場合、元来た道を必ず戻ると言うことである。

赤ゾレの山頂に立つと、これまでに歩いてきた延長線上に明瞭な道がついており、不用意にこの道を行くと木梶谷に向かうことになる。
 元来た道を戻り、再び杉、桧の植林帯に入り喘ぎながらアップダウンを繰り返すと突然国見山の山頂に着いた。

いつも元気な織戸氏の足が攣りそうになっており痛そう。間もなく目的地に着くが、少しストレッチをして躰を慣らすことにした。予想以上にばてたらしく、明日の状況をみて下山することも選択肢に入れることにした。

水無山尾根から明神平あしび山荘
国見山を過ぎると程なく水無山に差し掛かり、その延長尾根から右眼下に明神平のあしび山荘が見えた。
明神平到着は18時20 分となり、予定より1 時間25分の遅れとなった。水場近くにテントを張ることとし、先ずは水汲みから始めたが作業の途中から暗くなりだした。

テントサイトに百均で買ってきたLED 一灯のカラフルな照明を5個ぶら下げたらイルミネーションの様になった。さらに強烈なLED ライトを2個を加えたらガーデンレストランの様になり、二人が集まってきた。
明るい内に食事を済ませるには4時には到着していなければならない。明日からの行程は4時に切り上げるように話し合った。
夕食が終わったのは8時を廻っており、すぐに床に就くがなかなか眠れない。
織戸氏の体調が気掛かりだ。

2日目 8 月20 日(木)晴

明神平→弥次平峰手前テン場P1258

am05:30 気温15℃
 湿度80%
pm18:00 気温19℃
 湿度85%

千石山

 1380.3m 赤山

 1394m 池小屋山
 1395.9m 弥次平峰手前テン場
 1258m


 朝、3 時30 分に目覚め、眠れぬ儘に4 時に起床。食事は湯を沸かすだけの実に単純な作業である。アルファー米に湯を入れると15分で食べられる様になるが30分ほど蒸らすと更に美味しくなる。朝食はご飯に携帯みそ汁とソーセージ。それに体調維持のためにアミノバイタルプロ3600 を呑む。昼食も同時に作っておく。昼食用はアルファー米の中に梅干しを2個入れておくと、味が染みて旨くなり傷まない。今日の行程は池小屋山の彼方、弥次平峰手前テン場P1258 の水場まで。水が有るとの保証はない。水場で4リッターの水を確保して6時に出発した。

三塚分岐までは、なだらかな斜面からあしび山荘の美しい姿がよく見えて高級リゾート地を思わせる。ここは昔、スキー場があったそうで、なだらかな斜面はゲレンデだったそうだ。スキーヤーを引き揚げるワイヤーロープが真っ赤に錆びて朽ち果てていた。三塚分岐を踏まず、手前左に桧塚奥峰の道標があり、ショートカットの道がいつの間にか本ルートになっていた。
 ここまでが昭文社地図の赤実線。これから先が破線ルートになる。いよいよ台高の核心部を目指して進むことになるが、池小屋山までは沢山の人が歩いているのでルートに心配はない。

千石山南の千石谷源頭部

明神岳を過ぎるとすぐに桧塚への道標があり、我々は直進する。広い尾根をスズタケが覆う文字通りの笹ヶ峰。アップダウンを繰り返すと千石山(奥ノ迷峰)に到着した。
水マークの無いキャンプ適地は、千石谷の源頭になり水が流れていた。だが、少し日照りが続くと涸れるのだろう、マークが無いのはその為かと思われた。
赤山(コクマタ山)山頂1394m
赤山への登りはシャクナゲが生い茂り、腰をかがめて登らなければザックが引っ掛かりやけに疲れる。
池小屋山まではハッキリとしたルートと思って来たがコースタイムの二倍ほどの時間を要した。
何処までも続くアップダウンと幾つもの支尾根が入り組む、コース取りの難しさである。ニセテープも沢山ありうかつに進めない。
この辺りから添谷山までのコースタイムは実測とかなりの隔たりがある。地図上のコースタイムはあくまでも目安であり、実際には倍ほども時間のかかる区間があった。
霧降山を下って行くと山名の元になった湿地のような池が現れた。かってはここに小屋があったそうだ。

11 時40 分池小屋山に到着。
昼食にする。
朝の内、織戸氏は池小屋山から宮ノ谷コースで下山すると言っていたが、池小屋山に着くと俄然元気が出てきたようだ。約30分の昼食を済ませると、先頭に立ちいつもの早いペースで歩き始めた。
池小屋山の山頂からは東向きに野江股ノ頭、更に東北の方向に宮ノ谷、南西に縦走路の四叉路になっており、慎重に縦走路を行く。
ホウキガ峰手前では、コース上の道にまでシロヤシオがブッシュを成しており道が定かでない。ホウキガ峰を過ぎると、今度は背丈以上に成長したヒメシャラがブッシュを形成し、身を屈めて下を見ながら歩くと、幾筋もの獣道と交錯して行く手を阻んでいた。
ヒメシャラのブッシュを脱出

痩せた大黒尾根を行くと、そろそろ今日の幕営地に予定している銚子谷の水場P1258 地点になる。
織戸氏はコンパスと高度計を使って地形図から現在地を割り出しているが、同じような高さの山ばかりで高度計の意味を成さない。

ルート上には山名板以外の無駄な標識はない。当然水場の表示もない。P1258 と思われる地点を過ぎると二箇所の谷を過ぎた。谷はブッシュで覆われ、そこに谷があるとは思われない。慎重に辺りを探りながら歩くと、明らかにコースのテープとは思われない場所に赤テープが二重に巻かれていた。ここが水場だと直感したがものすごいブッシュである。佐々岡氏が見てくると言って下って行った。10 分もすると険しい顔をして戻ってきて「有った」と言った。

水場探しに1時間を要し、辿り着くまでに三度も道に迷った。
この時ほど油性ペンを持って来ればよかったと思った。テープに「水」と書いておくだけで、後から来る人がどれだけ助かるか計り知れない。
銚子谷の源頭部は、山の斜面を絞り出すようにチョロチョロと湧き出ており、それぞれの容器には落ち葉混じりで満たされた。
弥次平峰手前P1258 へ15 時に到着。
P1258 下:右のブッシュが銚子谷の水場

今日の到着が15 時と早かっただけに、残りの行程は先送りとなった。

明日の幕営地は父ガ谷の高である。ここから9時間を予定しているが、これまでの実績から推測すると10 時間を超えそうである。しかも台高の最深部。迷わずに歩いてのことである。
話し合って、水が確実に確保出来るキャンプ適地の地池越を第一候補とし、あとは歩いた結果とすることにした。
尾根に張ったテントには谷から吹き上げる風が心地よかった。


3 日目 8 月21 日( 金) くもり時々晴

弥次平峰手前P1258→P1125 ビバーク地

am 05:00 気温17℃
 湿度92%
pm 18:00 気温22℃
 湿度76%
弥次平峰

 1274.6m 馬の鞍峰

 1177.8m 山ノ神ノ頭
 1099.1m 湯谷の頭P1125 ビバーク地
 1125m

昨夜の床入りが早かった所為か12 時、2 時、3 時と目覚め4 時に起きることにした。6 時丁度に出発。P1258 下から弥次平峰へは58 分も掛かった。

弥次平峰山頂1274.6m

弥次平峰から馬の鞍峰までの昭文社のコースタイムは1 時間50 分と書かれているが、これは迷うことなく真っ直ぐに歩けた場合であり、我々は2 時間52 分も掛かった。ヒメシャラのブッシュ。どこまでも続くアップダウン。迷い込む支尾根。とても迷うことなく歩くことは不可能と思われた。
P1166 近くのロープ

P1166のルンゼ状をロープで鞍部に降り、さらに急登を登り返すと馬の鞍峰に到着した。山頂にはコンクリート製のように見える三角点があり、廻りより小高くなっていた。見通しも悪い。織戸氏は「工事現場みたいやな」と旨い表現をした。三角点をよく見ると埋もれていた部分が現れたものと思われる。すると山頂のむき出しになっている地表部は、風雨による浸食で流されたものと判断できる。すごい所だ。
馬の鞍峰山頂1177.8m

馬の鞍峰は三之公から来る出合いでもあり、大台から来た場合は三之公方面に入りやすく注意が必要。
馬の鞍峰到着9 時50 分。 少し早いが昼食とした。
馬の鞍峰から地池越までの昭文社タイムは2 時間30 分と書かれているが、途中何度も迷いながら歩いても2 時間で到着した。昭文社のコースタイムが信じられなくなった。

当初の予定地である父ケ谷の高を目指すことにした。馬の鞍を過ぎると、主稜線に奈良県と三重県の境界標が赤色の鋲で道に打ち込まれていて目印になる。この境界標を辿って行けば大台に到着する。実に心強い。また、コースには色とりどりのテープが巻かれているが、分岐路など本当に必要な所には少なかった。様々なテープの中でもダブルの黄色地に黒色を巻いた黄黒のテープが一番信頼性が高く確実にコースを捉えていた。この黄黒のテープが見られなくなったらコースから外れたと判断した。この辺りが台高の核心部となりテープもまばらになる。地池越の水場も源頭部まで谷を下るが水は僅かしか出ていなかった。

山ノ神ノ頭には14 時30 分到着。

ここから岩稜帯の痩せ尾根が続く。
湯谷ノ頭で休憩を取る。樹間から湯ノ谷、湯谷、三之公川がよく見える。
三之公川の支流、湯ノ谷、湯谷ではホットな温泉が出ているらしい。一度は探検をしてみたいと思う。
馬の鞍辺りからの山名板や道標は、もともと立木に取り付けられていたと思われるが、地面に散乱しているものが多く、立木が朽ち果てたのか、風雨に吹き飛ばされたのか、多くの場合23 枚に破断され、無くなっている部分もあり、過酷な自然の猛威を想像した。
父ケ谷の高まではとても行けず、湯谷ノ頭から40 分ほどで16 時を廻った。

P1125 の下である。水場は無い。

躰はくたくたになり悲鳴を上げている。キャンプ適地の手前だがビバークすることにした。次の水場までは確実に行けるとの予想で地池越の水場ではつなぎの水しか補充をして来なかった。明日の水場までの水は1.5 リッターしかない。

夕食と朝食ではそれぞれ500cc のペットボトル一本しか使えない。脱水状態にならないか気掛かりとなる。
織戸氏はここではテントを使用せず、沢歩き用のグランドシートをフライにして、マットの上にシュラフにくるまって寝た。頭から防虫ネットを被っているので虫は入らないらしい。
山ノ神ノ頭の名板:中央部が破砕している

4 日目 8 月22 日( 土) くもり時々晴

P1125 ビバーク地→引水サコ手前ビバーク地

am 05:00 気温19℃
 湿度85%  pm 18:00 気温21℃
 湿度74

父ガ谷ノ高






 m 杉又高








 m 振子辻








 m 引水サコ手前ビバーク地
 m

けたたましい鹿の警戒音で目覚め、3 時40 分に起床。
 今日の目的地は引水サコまでなので5 時間ほどの行程である。早めに到着してノンビリしたいと5 時50 分に出発した。

ビバーク地から40 分も歩くとキャンプ適地に到着した。シダの生い茂る斜面を降って行くと白い小屋が建っていた。
小屋には「農林水産省
 三之公雨量観測所」の看板が掲げられている。日帰りでは来られない深山で、突然に人工物に出合うと何か不思議な感覚を受ける。
水は小屋の裏手が宮川ダムに注ぐ父ケ谷の支流南谷の源頭部になっており、水は潤沢に湧き出ていて、涼やかな音を立てて流れていた。

三之公雨量観測所

30 分近くの大休憩を取り、咽の渇きを潤すことにした。一度に1リッターほどの水を飲み干すと躰が軽くなった様に思われた。躰が脱水状態になっていたのだ。
6 時53 分に再び重いザックを担ぎ出発した。ここから父ガ谷ノ高までは1時間ほどの行程だ。
元来た道を見上げると、尾根が右前方へと伸びている。後戻りするよりも前に進もうと生い茂るシダを踏みながら尾根に上がった。
尾根には獣道のような道が続いていて、所々に赤いテープがついていた。

見晴らしのよい広々とした所に出た。
開けた土地にでると途端にルートが定かでなくなった。
ザックを置き三人で四方八方にルートを探す。倒木によじ登り俯瞰するが、青々とした樹海が続くだけで特徴のあるものを確認することは出来なかった。
元の尾根に戻り、これまでの進行方向に歩いて行くと赤や黄色のテープが見つかった。疑いもなくテープに従って進んで行くが、これまでのテープとは少し違う様に思われてきた。道も険しくなりだし、ルートから外れたことを直感した。

地形図とコンパスで確認すると、南を向いて歩いている筈が完璧な東を指している。進行方向を地図で確認すると宮川第三ダムとある。
我々は大杉谷の支流うぐい谷から登る沢歩きのコースとうぐい谷高の尾根に紛れ込んだようだ。
どこで間違ったのか見当もつかず、兎に角、元来た道を戻ることにした。
すでに9 時を廻っており、水場からは2 時間が経過している。
うぐい谷高尾根のコウから添谷山俯瞰
父ガ谷ノ高:左進入禁止のマーク
9時52分に見通しの効く高を見つけた。高の上に立ち俯瞰する。地形図と合わせ、目の前の一つ一つの景色をパーツの様にとらえ地図に嵌めこんでいく。まるでジグソーパズルのようにそれぞれのパーツが一致する。ことごとく、全てが一致して実に気持ちが良い。粟谷小屋に続く西谷林道が目の前を走り、その途切れた先きに添谷山が確認された。不動谷の沢が西谷林道の前で二股になり美しい景観を作っていた。我々が目指す尾根は、二つ先の尾根を降らなければならないのが良く分かった。元来た道を戻ると突然に父ガ谷ノ高に出た。一瞬頭が空白になるような衝撃を覚えた。「ここは通っていない」どこで間違えたのだろうと思って後ろを見ると、二人が降ってくる先に左に伸びる尾根が見えた。全てが分かった。
6時53分に三之公雨量観測所を出るときに、元来た道を戻らず直進し、尾根に上がった為にルートの尾根から外れたのだ。正規のルートは元来た道を戻ると別の方向についていた。僅かなショートカットが大幅なロスとなった。父ガ谷ノ高到着は10 40 分。約3 時間に近いロスとなった。幾重にも入り組んだ支尾根のある台高でのショートカットは厳しい結果になる。
あくまでも基本に忠実に歩くことが確実に前に進むことになる。早く歩くことよりも、確実に目的地に到着することが何よりも優先する。

道無き道を行く

父ガ谷ノ高からは、月曜日には仕事があり、どうしても予定通りに帰宅したいと言う織戸氏が単独先行することになった。凄い早さで歩いて行く。すぐに姿が見えなくなった。
 それまでは常に地形図とコンパス、高度計をみて我々を先導してくれた。
 これからは二人で行かなければならない。アップダウンの続く痩せ尾根ではシャクナゲが生い茂りザックに引っ掛かりやけに疲れる。
一つ目のP1094 で昼食を摂ることにした。歩き始めて5 時間が経過していて11 時になっていた。

二つ目のP1094 までも痩せ尾根が続き所々で三之公方面の見通しが開け一時疲れを忘れる。

P1094 を過ぎると間もなくキャンプ適地になる。水場表示はないが水場は有るはず。
後ろを見ると佐々岡氏がいない。
大きな声で「オィ」と叫んだら、ナンと前方から「オィ」と織戸氏の声が間近から聞こえた。
「水が有るぞ、がんばれ」と返ってきた。「がんばるぞ」と返したら、こんどは後ろから「なんだ」と佐々岡氏の声が聞こえた。
佐々岡氏の声はしばらく途絶えたので「佐々やん」と大きな声を出したが返事がない。
ホイッスルを思いっきり吹いた。ホイッスルを吹きながら捜しに戻った。すると空身で降りてくるではないか。
「ザックはどうした」と聞くと道は向こうにあるから置いてきたと言う。
ナンとこの上のピークで獣道に入ったらしい。彼は少し耳が遠い。織戸氏とのやり取りも自分に掛けられたと思われた。
訳を話すとザックを取りに戻った。
それからは二人の距離を置かないようにした。
杉又の高に12 時58 分。
振子辻には14 時10 分に到着。
これまでもそうであったように、振子辻の山名板も砕け散っていた。
自然の猛威が窺い知れる。
振子辻の山名板

振子辻までは迷い込んだ父ガ谷ノ高のからよく見えた。
ここからは大きく右に振る。引水サコまでは90 度、90 度と大きく振っていき逆コの字型に取る。アップダウンが激しく獣道も多い。地形図とコンパスで確認を取って行く。
「佐々やン、あと30m 登ったら左に90 度や」「ガレ場が見えたらキャンプ適地や、水があるぞ」と、いつのまにか佐々岡さんが佐々やンに変わっていた。

ガレ場を過ぎ、三つ目の90 度を越えたところで15 時35 分。
引水サコまでは後少しの所である。しかし、どれぐらい掛かるか分からない。佐々やンに相談すると「これ以上歩けない」と言う。
先行した織戸氏はどこまで行ったのか、試しに「おい」と声を掛けたらナンと「おい」と返ってきた。
すぐ近くに聞こえる。尾根を挟まない谷間の声はよく通る。再び「がんばれ」と声が掛かったが、「ビバク」と返した。
引水サコ手前のビバーク地

水場マークの無いビバーク地で、果たして水が得られるか。
源頭部と思われる渓筋に降った。
沢筋が次第にハッキリとして来てやがて水は見つかった。幾つもの谷を形成していて、それぞれの谷から水が滴り落ちていた。谷の数だけ尾根があるということだ。
佐々やンは適当な場所を見つけてツエルトを張っている。私はいろいろと物色した結果尾根筋の平らになった部分に張ることにした。テント設営時に誤って石を尾根から落としてしまった。石は急角度で谷に落下していき、いつまでもその音を立てていた。

今日は道々沢山の熊の糞が目に付いた。
私はクマ除けの為にラジオと熊ベルを付けて歩いている。
これまでに熊と鉢合わせになったことはない。しかし、鹿やカモシカ、イノシシ等とは時々鉢合わせになる。今回も赤ゾレ山の草原では目の前からイノシシが飛び出した。イノシシは草むらで寝るらしい。熊はそれだけ敏感で耳が良く聞こえるらしい。

食事も済ませてノンビリとしていたら、薄暗くなった前の山から、ゴソゴソと真っ黒なものが降りてきた。てっきり熊かと腰を抜かしそうになった。すぐに笹やンだと分かった。しかし、笹やンはもっと下の方にツエルトを張ったはず。それに水場はもっと下にある。一瞬訳が分からなくなった。
笹やンの言うことには「帰りの沢筋を一本間違えたら山の上まで行ってしまった」と言うことであった。
実におおらかで愉快な話である。
その後、暗くなり樹間から星が美しく瞬きだした。しばらく眺めた後に、目の前の茂みを見ると青白く輝くものがあった。長かった一日が終わった。

5 日目
 最終日 8 月23 日(日)晴

引水サコ手前ビバーク地→大台ヶ原

am 05:00 気温18℃
 湿度68%
引水サコ


 1118m  添谷山


 1250.1m  日出が岳1694.9m

朝、3 時30 分に起床。
5 時にならないと明るくならない。
ライトの明かりで小物類から片付けた。今日が最後だ。昼過ぎには大台ヶ原の大駐車場に到着の予定である。最後の水汲みもこれまでのように4 リッターは必要ない。引水サコでは確実に水は得られる。そして何と行っても絶対に涸れることのない金明水がある。
 2 リッターを確保して、6 時15 分に出発した。

テントを張った尾根を登り始めるといきなり目の位置にマムシがいる。思わずストックで、小さな頭を目掛けて一撃をくれたら命中した。一発で仕留めたが可哀想なことをした。
以前、暗くなってからテントを張っていたらテントの細引きと間違えて蛇を掴みそうになったことがある。

引水サコには30 分ほどで到着した。昨日、もう少し頑張ったらここまで来られたのにと思ったがなかなか分からないものである。
引水サコとは旨く名付けたものだ。文字通り谷の行き詰まりで、周囲の山から水を引き込むような地形になっている。
 ルートに走り書きのメモが置かれていた。織戸氏が残したものである。「一生に一度のことであるので先に行く」と書かれていた。
申し訳ないことをした。
我々がもう少し頑張ればよけいな気を使わせることも無かったのにと思った。

引水サコでは水を補給する必要もなかった。しばらくすると岩稜帯に差し掛かり御座に出た。素晴らしい展望が開けている。目の前に三津河落山と大和岳がとなり合わせに聳え立ち、遠く白髭岳や白屋岳も遠望できた。
いよいよ縦走も最終コーナーに差し掛かったと感無量になる。

後ろの山が三津河落山と大和岳:御座からの展望


程なく添谷山への急登に差し掛かる。ここには申し訳程度にロープが張られていた。見覚えのあるロープである。
6 月18 日にプレ登山として、雨の中を筏場から登り、引水サコの水場確認のために添谷山まで来たが、寒さとタイムオーバーのため引き返したことがある。
その時に、添谷山から見たロープは山頂部から急角度で垂れていたのを覚えている。今回は難無く登ることができた。
添谷山到着は8 時03 分。ここで10 分ほど休憩を取る。
後は一度来た道。見覚えのある道をルンルン気分で歩くことができた。
1時間足らずで大台辻に着いた。ここも昭文社地図では1 時間20 分と書かれていた。我々は二回とも1時間以内で歩いた。
大台辻では10 分ほど休憩を取る。

ここからは筏場ルートになり金明水を目指した。歩き始めると程なくルートに大木が倒れており迂回路もあるように思われた。倒木のすぐ近くに「山の家」の標識があり矢印で示されていた。
筏場ルートは、嘗て大台ドライブウェイの無い時代の登山道である。
入之波(しおのは)から入り、昔木材の切り出しで筏を組み本沢川を下った筏場を拠点としたため、筏場コースとも呼ばれている。
ルートは至るところで石垣が組まれており、歴史を感じる格調の高い道である。
現在は2005 年の台風による崩落箇所多数により、筏場から川上辻及び大台辻から西谷経由大杉谷は全面通行止めとなっている。しかし、台高を縦走して来た場合は避けて通れない。
崩落箇所多数により注意を要する。

西の谷に流れる源頭部では至るところで水が湧き出ていた。沢を成している所もあり、山肌から吹き出している所もあった。嘗てこの道は何度か歩いた道だがこの様な光景は初めてだった。
「佐々やン、どうも道を間違えたかもしれん」
「こんなに水が出ているところは歩いたことがない」と不安げに話した。
もう少し行くと“金明水”に着く。そこで昼食を摂ることを話した。しかし、途中の沢では水が音を立てて流れている。躰を拭くのに丁度良い。思い切って昼食休憩にした。
道は格調のある石垣が続いている。筏場コースに間違いはない。こんな山中に二つの立派な道は必要が無いからだ。

昼食を済ませ、歩き始めるとすぐに金明水に着いた。10 時38 分だった。
金明水は大きな岩を割って、その中からゴボゴボと音を立てて流れ出ている。恐らく三津河落山からの地下水脈があるのだろう。水が涸れることはない。
冷たくで実に美味い水だ。
岩から湧き出る水は格別に美味い。

台高の名水:金明水

11 時07 分に安心橋に到着。ここまで来ると本当に安心になる。途中、小さな
沢に掛かる橋はことごとく台風によって崩落していた。上流からの土石流で見る影もない。ルートも大幅に崩落している所が34 箇所あった。その都度慎重に通過したが、これまでに通ってきた道を思うと何でもなかった。
安心橋

しばらく行くと前方からラフなスタイルで中年の男性が歩いてきた。「こんにちは」久し振りに掛ける言葉である。大台が原はもうすぐだ。
 10 分も歩くと川上辻に到着した。
 11 時55 分だった。
 長かった台高山脈の核心部はここで終了することになる。後は形だけの日出が岳に登るだけだ。
 川上辻では先ほどのお連れさんか、女性が一人朽ち木に座っており「散歩ですか」と声を掛けられた。「高見山から歩いて来た」と言ったら、女性は「ひぇー」と驚いていた。
川上辻からは嘗て縦走路だった県境は植生保護の為立ち入り禁止になっていた。
 環境省は無粋なことをする。
 県境に沿って1m 幅の道でも付けてくれれば良いものを、仕方なく車道を行くことにした。ひっきりなしに車が行き来する。大台ヶ原は車で来る所になってしまった。大型の観光バスも沢山走っている。まるで一般国道と変わらない。その入山人数と車による排ガスは本来の植生に甚大な影響を与えている。山は丸坊主になって仕舞った。

大台ケ原に到着


 川上辻から大台駐車場までは25 分掛かった。真夏の太陽光線はアスファルトに反射して容赦がなかった。木陰を見つけて大の字になって寝ころんだ。とても気持ちが良い。
 駐車場に到着するとすぐにバスの時刻を確認しに行った。すると職員さんが乗車の整理券をくれた。今日は日曜日なので満員になる可能性があるとか。我々は早い便の14 時45 分を予約して、ザックを事務所で預かってもらい、日出が岳に向かった。
 空身の躰ではすぐに日出が岳山頂に着いた。丁度1 時だった。途中で織戸氏に出合った。織戸氏は重いザックを担いで歩いていた。「ザックはどうした。空身では完全縦走にはならない」と律儀なことを言った。我々二人に拘りは無かった。
 山頂の三角点でグループと思われる人に二人で記念の写真を撮ってもらうことにした。グループの人は「どこから来たのですか」と言った。私は高見山から歩いて来たと言ったら廻りの人達も一応に振り返り「へ」と感嘆の声を上げた。
 地図を開いて確認している人。話しかけて来る人。
 グループ旅行は楽しい。
 我々三名の台高縦走は今日で終了する。苦しいことの連続で、何度も“遭難”の二文字が頭をよぎったこともあった。
 あまりの疲れでギブアップも考えた。どこのエスケープルートで下山しょうかとも真剣に考えた。
 でも、歩き通せて良かった。何ものにも代え難い素晴らしい爽快感と充実した喜びを手にしたのだから。


 台高山脈の縦走は実に危険な縦走であったと思う。それは、これまでに人が余り歩いていないということに尽きる。
 人の沢山集まる山は当然の様に設備は充実し、危険な箇所にはくさりや鉄梯子が敷設され安全に通過できるようになっている。至れり尽くせりの道標や指導表で道に迷うことも無い。地図が無くても地図が読めなくても目的地に着く。水場や山小屋もしっかりとしている。
 台高山脈はそれらのことが皆無に近い。自身の技量と判断で進むしかなく。判断を間違うと重大な結果が待っている。

日出が岳山頂1694.9m

興味本位で行うには余りにも危険が伴う。今回の縦走はもともと一人で実施するつもりであった。でも良かった。素晴らしい友が二人も出来たのだから。

未整備のワイルドな山域にもう一度戻り、粉々に飛び散った山名板や水場の表示、確かなルート表示等やることはいっぱいある。いつの日にか出来れば楽しいだろうと思う。

台高の山々はいつまでも残しておきたい大自然が満載の山であった。

山の食堂で久し振りに他人様が作ってくれた“天麩羅うどん”を食べた。
 特別に美味かった。定刻の14 時45 分に三名が揃って下山した。

 完
















文責:乾
 克巳


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